『同居人Rの献身』
西方の雄、遥か彼方、大阪の地から花の都、東京へと上京してまもなく4年になろうとしてます。
作家になるという当初の目的もまるで叶わず、フリーアルバイターという名の無職を満喫する21歳です。
フリーのアルバイト。飲食店の調理補助からホールスタッフ、また公園などの清掃員、スーパー、コンビニ等でのレジ打ち、商品管理スタッフ、等々。
学も無ければ資格もなくコネクションも無い身としてはやれる事はなんでもします。それぞれのバイトは概ね皆、期間限定契約のため長くて一年余り、短い物ならひと月限定の短期の物もありました。
昨今の不況最中の今、雇ってくださる所にも諸事情があり、一つ所に長期にお世話になる事は中々に難しい事です。
そんな中、今、やっている仕事はさる造船会社の下請けの会社で船舶の部品や備品に関するデーター入力をする仕事をしてます。
普段は外での仕事が多いので室内でのデスクワークは寒さ厳しい時期には正直、本当にありがたいです。この仕事、実は同居人であるRの紹介で就く事が出来た物なんです。
正確には彼の父親の会社の系列の子会社にRの口添えで入らせて頂きました。友人であり大屋でもある同居人Rと彼の父親は犬猿の仲。というよりも父親が、ある理由から一方的に息子に対し壁を作ってるといった関係のようです。
Rの住んでいるマンションも彼の父親が全額、負担した物です。R曰く『体のいい厄介払い』と、彼は言ってはいますが、月に一度、学費や生活費の事で父親と会ってはいるようです。その際に僕の事をお父さんに話したようです。
それはそうだと思います。マンションを購入した父親に無断で他人を住まわす事は普通ならあり得ない事だと思います。実はこういう事情のため、友人と同居しますと父親に一言、伝えるのは物の道理だとは流石に僕もそう思います。
その際に、僕の身の上や上京した理由などを話してくれたようです。Rの父親は開口一番、「高卒で作家を目指してる奴と同居?お前も大概、馬鹿だが類友とはまさにこの事だな!そんなクズと付き合ってる時点でお前の価値も下がる!そんな事も分からないのか!」
と、最大級の罵倒を彼に言ったそうです。いかんせん、彼の父親の口にした事はしごく真っ当な事で、反論の余地は100に一つも無いと当の本人である僕自身が、まずそう思います。それに対してRは…。
「自分の友人は自分が決める事です!。それに自分も含めて目標も無く、ただ自堕落に中、高、大と進学してる人間と比して、彼は明確に将来的な指針を持って生きてます。その対応に自分も少なからず感化される所は大きくあります。父さんが僕の事をどう言おうが構いませんが、僕の友人を無下に罵倒する事だけは許さない!」。と、そう言ったそうです。おそらく彼が自分の父親に反旗をひるがえし口答えをした、それが初めての事なのかもしれません。それに対して彼の父親は、「驚いたな。お前がそこまで言うなんてこれまでに無かった。お前の母親と同じように、ただ従順なだけの男だと思っていたのだがな。なら、そのお前の友人とやらの真髄を見せて貰おうか。俺の懇意にしてる会社で一年以内に結果を出させろ。それ如何でそいつも、そしてお前の事も再考慮してやる。口だけならなんとでも言える。そいつもお前もまず明確な結果を出してみろ!」。といったやり取りがあった事をRから聞いたのは、だいぶ後になってからの事です。初めは彼から「新しい仕事を紹介するよ。そこだと期間限定という訳じゃないから。ただし、君にその適正が無ければ即、解雇らしい。どうする?」。そんな彼の言葉から今の仕事に従事させて貰ってます。船舶関係の仕事。これも後から彼に聞いた事ですが、彼は将来的に新たなエネルギー源として希少な鉱物の採掘、その運搬を視野に置き。現在の原子力発電を上回る新たな発電形態を考えていたようです。その鉱物があるのは主にロシア北東部にあるとの事。その交渉事も彼自身が自ら現地へと行き、その地域の代表と交渉し契約を結ぶ算段をしていたらしい。勿論、今のロシアがどういった状況なのかも把握したその上でそれを行う事を考えていたようです。自分に船舶関係の会社を父親を介して紹介してくれたのも、将来的に僕を彼の右腕として使うため。勿論、その前に僕が作家への道に就けたなら、無理強いはしなかったみたいです。彼が学生でいられる猶予期間は残り、一年弱です。その間に僕は主に船舶関係の仕事に従事し、彼は希少な鉱物資源の研究、またそれを常時、大量に輸入する算段を考え、工業機器に関する専門家とも話をし、また日本政府に掛け合い一連の流れを見て頂きその認可を求める。そこまで考慮しているようです。戦時下の国の元、ビジネスとして旅立つ覚悟をする事。それはおそらく多分、命をかけて。一年以内にそれが出来るか否かは自分には分からない事です。いえ、一年ぐらいではどう考えても無理な事と思います。荒唐無稽と言うならば、作家志望の僕よりも彼の考えている事の方が遥かに飛びぬけた物だとは思います。ですが、それをやるだけでも、まず価値はある。いえ、とりあえずも、まずは行動しなければ結果はでない。僕も作家の事は勿論、諦めてはいません。ですが彼の献身に応え、彼と共に新しい事をしたいという想いは今では強くあります。一年後、そしてその先の未来。2人の立ち位置が果たしてどうなっているのか?それをお話するのは、また別の機会にとさせて頂きます。
僕が好きな昔の歌の中にこんなフレーズがありました。『自由に生きる方法なんて100通りだってあるさ』と。でも、実際には、自分の自由に出来る事はその1/10さえ無い事は僕も、そして多分、彼も知ってる事だと思います。当座、自分自身が動かなければ状況は何も変わらない。だからこそ、今、一分、一秒、懸命に生きるしかない。
その目標を叶える事が、一人では無理な事でも彼となら、もしかしたらなんとかなるかもしれない。この世に生まれ落ちた以上、何かしらの形で生きた証の爪痕をこの世界に残したい。それが小説であれ、他の事であれです。ここで書いた4つに分けての僕と彼のエピソードはひとまずこれで終わります。読んで下さった方には心から感謝を送りたい思いです。僕の名は圭、友人の名は怜。先の見えないその渦中にいる、今はただの二匹のひよこです。一年後に、またお会いできたら幸いです。そう、いつかまた、この場所で君と。君と会いたいです。