『同居人Rの献身』

西方の雄、遥か彼方、大阪の地から花の都、東京へと上京してまもなく4年になろうとしてます。
作家になるという当初の目的もまるで叶わず、フリーアルバイターという名の無職を満喫する21歳です。
フリーのアルバイト。飲食店の調理補助からホールスタッフ、また公園などの清掃員、スーパー、コンビニ等でのレジ打ち、商品管理スタッフ、等々。
学も無ければ資格もなくコネクションも無い身としてはやれる事はなんでもします。それぞれのバイトは概ね皆、期間限定契約のため長くて一年余り、短い物ならひと月限定の短期の物もありました。
昨今の不況最中の今、雇ってくださる所にも諸事情があり、一つ所に長期にお世話になる事は中々に難しい事です。
そんな中、今、やっている仕事はさる造船会社の下請けの会社で船舶の部品や備品に関するデーター入力をする仕事をしてます。
普段は外での仕事が多いので室内でのデスクワークは寒さ厳しい時期には正直、本当にありがたいです。この仕事、実は同居人であるRの紹介で就く事が出来た物なんです。
正確には彼の父親の会社の系列の子会社にRの口添えで入らせて頂きました。友人であり大屋でもある同居人Rと彼の父親は犬猿の仲。というよりも父親が、ある理由から一方的に息子に対し壁を作ってるといった関係のようです。
Rの住んでいるマンションも彼の父親が全額、負担した物です。R曰く『体のいい厄介払い』と、彼は言ってはいますが、月に一度、学費や生活費の事で父親と会ってはいるようです。その際に僕の事をお父さんに話したようです。
それはそうだと思います。マンションを購入した父親に無断で他人を住まわす事は普通ならあり得ない事だと思います。実はこういう事情のため、友人と同居しますと父親に一言、伝えるのは物の道理だとは流石に僕もそう思います。
その際に、僕の身の上や上京した理由などを話してくれたようです。Rの父親は開口一番、「高卒で作家を目指してる奴と同居?お前も大概、馬鹿だが類友とはまさにこの事だな!そんなクズと付き合ってる時点でお前の価値も下がる!そんな事も分からないのか!」
と、最大級の罵倒を彼に言ったそうです。いかんせん、彼の父親の口にした事はしごく真っ当な事で、反論の余地は100に一つも無いと当の本人である僕自身が、まずそう思います。それに対してRは…。
「自分の友人は自分が決める事です!。それに自分も含めて目標も無く、ただ自堕落に中、高、大と進学してる人間と比して、彼は明確に将来的な指針を持って生きてます。その対応に自分も少なからず感化される所は大きくあります。父さんが僕の事をどう言おうが構いませんが、僕の友人を無下に罵倒する事だけは許さない!」。と、そう言ったそうです。おそらく彼が自分の父親に反旗をひるがえし口答えをした、それが初めての事なのかもしれません。それに対して彼の父親は、「驚いたな。お前がそこまで言うなんてこれまでに無かった。お前の母親と同じように、ただ従順なだけの男だと思っていたのだがな。なら、そのお前の友人とやらの真髄を見せて貰おうか。俺の懇意にしてる会社で一年以内に結果を出させろ。それ如何でそいつも、そしてお前の事も再考慮してやる。口だけならなんとでも言える。そいつもお前もまず明確な結果を出してみろ!」。といったやり取りがあった事をRから聞いたのは、だいぶ後になってからの事です。初めは彼から「新しい仕事を紹介するよ。そこだと期間限定という訳じゃないから。ただし、君にその適正が無ければ即、解雇らしい。どうする?」。そんな彼の言葉から今の仕事に従事させて貰ってます。船舶関係の仕事。これも後から彼に聞いた事ですが、彼は将来的に新たなエネルギー源として希少な鉱物の採掘、その運搬を視野に置き。現在の原子力発電を上回る新たな発電形態を考えていたようです。その鉱物があるのは主にロシア北東部にあるとの事。その交渉事も彼自身が自ら現地へと行き、その地域の代表と交渉し契約を結ぶ算段をしていたらしい。勿論、今のロシアがどういった状況なのかも把握したその上でそれを行う事を考えていたようです。自分に船舶関係の会社を父親を介して紹介してくれたのも、将来的に僕を彼の右腕として使うため。勿論、その前に僕が作家への道に就けたなら、無理強いはしなかったみたいです。彼が学生でいられる猶予期間は残り、一年弱です。その間に僕は主に船舶関係の仕事に従事し、彼は希少な鉱物資源の研究、またそれを常時、大量に輸入する算段を考え、工業機器に関する専門家とも話をし、また日本政府に掛け合い一連の流れを見て頂きその認可を求める。そこまで考慮しているようです。戦時下の国の元、ビジネスとして旅立つ覚悟をする事。それはおそらく多分、命をかけて。一年以内にそれが出来るか否かは自分には分からない事です。いえ、一年ぐらいではどう考えても無理な事と思います。荒唐無稽と言うならば、作家志望の僕よりも彼の考えている事の方が遥かに飛びぬけた物だとは思います。ですが、それをやるだけでも、まず価値はある。いえ、とりあえずも、まずは行動しなければ結果はでない。僕も作家の事は勿論、諦めてはいません。ですが彼の献身に応え、彼と共に新しい事をしたいという想いは今では強くあります。一年後、そしてその先の未来。2人の立ち位置が果たしてどうなっているのか?それをお話するのは、また別の機会にとさせて頂きます。
僕が好きな昔の歌の中にこんなフレーズがありました。『自由に生きる方法なんて100通りだってあるさ』と。でも、実際には、自分の自由に出来る事はその1/10さえ無い事は僕も、そして多分、彼も知ってる事だと思います。当座、自分自身が動かなければ状況は何も変わらない。だからこそ、今、一分、一秒、懸命に生きるしかない。
その目標を叶える事が、一人では無理な事でも彼となら、もしかしたらなんとかなるかもしれない。この世に生まれ落ちた以上、何かしらの形で生きた証の爪痕をこの世界に残したい。それが小説であれ、他の事であれです。ここで書いた4つに分けての僕と彼のエピソードはひとまずこれで終わります。読んで下さった方には心から感謝を送りたい思いです。僕の名は圭、友人の名は怜。先の見えないその渦中にいる、今はただの二匹のひよこです。一年後に、またお会いできたら幸いです。そう、いつかまた、この場所で君と。君と会いたいです。

『Tomorrow never knows』

今日はアルバイトもなく久しぶりの休日です。本来の目的である執筆活動も24時間、毎日してる訳でもありません。そんな時は友人であるRとボードゲームやトランプをしてる事が多いです。
今日は食後にチェスをしてます。ゲームは頭の体操にもなるし、息抜きや気分転換に丁度いい時間です。チェスにしろ将棋にしろ僕がRに勝つ事は殆どないんだけど、でも勝敗はともかく楽しく気楽にやってます。
「今更だけど、ここよく買えたよね?」。僕は作家を目指すため18で上京。東京で唯一の知人であるRに連絡し、家事手伝いを条件に彼のマンションに同居してからもうすぐ4年になります。
「親とあまりうまくコミュニケーションできなくてね。大学が決まった時点でこのマンションの購入費用は全額、父が出してくれた。体のいい厄介払いというとこかな」。「大阪で会ったのって小5の時だろ?その頃、確かお母さんが亡くなったって前に言ってたよね?」。
「自分は妾腹なんだ。母さんと父は色々あってね。必然的に僕も父とは色々あったんだ。T大に受かった事を父に報告した時も、4年間の学費と生活費は出してやる。でもその後は俺とお前は金輪際、一切、無関係だって父にそう言われたよ」。
「僕も家族とはあまりうまくいってた方じゃないけど、その話は今、初めて聞いたよ。なんて言っていいか分からないけど、大変だったんだね」。「世の中に何ひとつ問題の無い家族なんて多分ないと思う。僕が特別、悲壮的な存在とも別に思ってないよ。それでも4年前に君から同居の件を聞いた時、実は少しホッとしてたんだ。むしろ今では君に感謝してるよ。あの父と一緒に住むより、少なく見積もっても君といる方が遥かに楽だしね」。「こっちは好きな家事ができるし、家賃レスだし、ありがたく思ってるのは僕の方なんだけどな」。
そんな会話の後、またチェスに専念し互いに無言で盤面を見始めた。僕よりRの方が遥かにボードゲームやカードゲームは強いけど、たまに僕が運よく勝つ事もあるしね。でも、彼の出生の事を聞いて、うまく言葉に出来なくて口を閉ざしてしまったというのがホントのとこなんだけど。彼がいつもどこか無口で表情に影があるように見えた理由が、ほんの少しだけど分かったような気がする。家族間があまり良くなくても、一応、帰る場所がある自分とは根本的に立ち位置が違う話だったから。
「最近、地震、多いよね」。ふいに、ぽつりとそう口にしたR。「ああ、例の北陸の大きな地震の事だろ?テレビの映像を見て驚いたし、正直、むちゃくちゃ怖かったよ」。「僕はテレビの映像を見て東北の震災の事を思い出したよ。あの時の日本全土が混乱した時の事を」。
「色々あったよね、あの時って。ニュースで見たけど地震で家屋が沢山、倒れて、津波の被害も多かった。それと、原発の事故の事もあるしね」。「チェルノブイリ以来、世界が原発に関する事に改めて注目し出したのも、あの震災がきっかけだったと思う。有名人、一般人問わず、あちらこちらで原発に関する言葉が飛び交った。その危険性や、ひいては世界のエネルギー問題に関する事まで。沢山の学者や識者、いわゆるオピニオンリーダーと呼ばれている方々が様々な意見を口にしてた。でも、結局は電気発電に置いて原発に代わる代替エネルギー源は今もだけど作り出す事は出来なかった」。「電気と言えば、最近は電気自動車がよく街を走ってるよ。バイクメーカーも将来的には殆どが電気で動くバイクになるってニュースで聞いたけど。あれって凄く静かでスムーズに走るよ」。「ガソリン車からEV車への移行。原油は日々、枯渇してゆく一途だし、EV車へと変わってゆくのも自然の理だと思う。でもその電気エネルギー源も100%じゃなくとも原発から生み出されている。決してリスクの無い事の無い見えない箱から」。「でも、それって仕方なくない?色んな番組でも討論してるけどさ」。「うん、当面、原発稼働は外せない事だと思う」。自分はなんて言っていいか分からなかった。Rは滅多に表情を変えないし、余計な事はまず喋らない。まるで、それこそ24時間ポーカーフェイスになってるかのように。でも、自分の興味のある事には多弁で、たまに口調が辛辣な時がある。僕はただ、最近、負け続けのチェスに今日はなんとか勝つ、勝てればいいなって、そんな事だけしか頭に無かったよ。
「近い将来、人の生活環境が一変すると思う。衣食住、全てに置いて。物の商品価格が上がった事もそうだけど、建物の耐震精度の見直しも、建築関係者だけでなく、行政はすでに動きだしてる」。「震災時、家が倒壊しないように?」。「うん、可能な限り安全なビルや家屋、その付近の道路や公共施設、高速道路なんかもそうだと思う」。「昔の映像で、高速道路が途中で道路が無くなってるのを見た事があるよ」。「阪神淡路大震災の時の映像は僕も見たよ。東北の震災よりもずっと前の事だよ」。「あのさ、あまり言いたくはないけど、このマンションは地震が来た時も大丈夫なの?」そう、おそるおそる口にする僕。東北の震災、そして最近の北陸の地震の映像を見て以来、大っぴらに口にはしないけど、やはり自分が今いる場所が、もしもの時どうなるかはやはり気にはなってた。Rに限らず決して誰にも言えなかった事だけど。北陸の地震で家が風雨で流されてる映像を見た時は本当に怖かったから。
「わからない。父は事、買う物に関しては値段は厭わなかった。その代わり無駄な物は一切、買わなかったけど。まがりなりにも自分の血縁者の住む場所は、後の事を考慮して与えてくれてたとは思う。もう二度とは会わない息子という名の他者に与える最後の物として。でも、世の中に絶対なんて物は無いと僕は思ってる。地震が来るか来ないかも、それに対して命が助かるか否かも結局、運だと思う。君が作家になれるかどうかという事と多分、さして変わらないと思う」。「え?じゃ、まず絶望的じゃん?俺、作家にはなりたいけど、今じゃ、ほぼ諦めてるんだぜ?」。
「君が好きな漫画のセリフ、諦めたらそこで試合、終了じゃなかったの?どんな時も弱気になった方が負けだと思う。先が見えない未来の事なら尚更、悲観的にならない方がいいと思うけど」。
そんなやり取りでをしつつ、その日のチェスは最後は彼が「チェックメイト」を口にして僕が負けました。作家を諦めて実家に帰る事を考えていたのは本当の事です。Rが学業を終えて、ここから出ていかなきゃならないそれ以前に、もう帰る事は正直、頭の中にありました。
でも、そんな不安材料も同居人に話をした事で少しは楽になったかもしれません。地震の事も僕の作家の事も、オオタニやヤマモトやハチムラが今年、活躍するかしないかも、まずやらなければその結果はでない。『諦めたらそこで終了』。Rが言った僕の好きな漫画の有名なセリフだけど、でも諦めなくても負ける事はあるという事は流石に今の僕は知ってます。先行きが見えないのは何も僕だけじゃ無い。頭のいいRだって本当は不安や葛藤の塊なのかもしれない。一人だったら駄目だった。でも、二人なら?。彼が作家になる訳じゃないけど、漫画でも原作者と作画担当に分かれて一つの作品を描くように、二人ならもしかしたら不可能が可能になるかもしれない。或いは結果はやはり駄目かもしれない。取り合えず暗い話題よりも明るい話題をRと交わしていきたいと思います。地震は確かに怖い。怖いけど自然に人は敵わない。敵わない物に対して過度に恐れても仕方がないものね。
今日のチェスは負けたけど、次の将棋の時は絶対に勝とうと思う。チェスでは使えない相手から取った駒を自分の判断で使って必ず勝ちたいと思う。Rと話してチェスをして、共に食事をして気持ちがリセットした気がします。こんな益体もない無駄に長い文章で本当にごめんなさい。
明日の事は僕でなくても、多分、誰にも分からない事だと思います。でも気持ちがネガティブになる事より、よりポジティブに、よりアグレッシブに物事を考え、そして行動する事の方が結果は明るい物になるような気がします。これもRの受け売りなのですが。
古い映画のタイトルに『俺たちに明日はない』という作品があるけど、反面、明けない夜は無いという言葉も別の作品のセリフで聞いた事があります。いつかそれでもそれさえも、見えない明日を自分の手でつかみ取りたい。あ、このフレーズは今度、自分の小説の中で使おうかな?
それじゃ今日はこの辺で。明日のバイトに備えて今日は早くに休もうと思います。最後に、今回の地震で被害にあった方が早く元の生活に戻れますように。21歳の若造が、でも本心からそれを願ってます。心から、それを願う者です。

『Earth&Fire』

上京して3年弱、作家志望のフリーアルバイター、Kです。
残念ながら作家は未だ目標であり到達はしてません。そんな自分、学生の身でありながら自前のマンションを持ってる友人宅に家事手伝いの条件で居候をさせてもらっています。
大都会、東京の空の元、果てしもない夢を持ちながら日々つつがなく暮らす身です。
「新しいバイトの方はどう?」そう聞いてくるのは件の友人であり大屋でもある、T大生3回生のR。小学生からの縁で今は一つ屋根の下の元、共に暮らしてる同居人です。
「まぁまぁかな。好きな物に囲まれてるから気持ち的には楽だよ」、そう返す自分は今は東京都内にある動物園で仕事をしてます。
勿論、動物の世話をする訳ではなく、園内の清掃及び雑務全般、できる事はなんでもする飼育員さん方のサポート要員です。
元々、動物は好きだったし大阪にいた頃も関西では有名な動物園にも事あるごとに行ってました。近所にいるワンちゃん、猫なんかも好きだったし。
作家は未だ置いておくとしてまずは働かなければいけない訳で、求人雑誌を見て即、応募、そしてバイトとして採用されたという訳です。
よく見る小動物とは違い、目にする動物は、まずデカくて尚且つ動物によっては凄まじい叫び声をあげる子もいて楽しい反面、毎日、新しい発見の日々です。
敬愛すべき漫画の神様、手塚治虫氏が大学の医学部へと進学したのも、様々な知識は漫画のためになると考えて、某国立大学の医学部に入学したという逸話は知識として知ってました。
比べるのもおこがましい事ですが、かくいう自分も作家を目指す身です。様々な経験が後に創作の世界の中で役にたつのかもしれないですし。誰かが言ってたけど、この世の中に無駄な経験は一つも無いんだっていう、そんな話を聞いた事があります。
そんな大仰な事はまた置くとして。動物園の中で飼育員でなくとも働く事って実はあまり無いのでは?それってとても貴重な経験なのではないかと最近ではそう思ってます。
同居人であり大屋であり、そして友人であるRはこの先、どの道へと行くのかは知らないけど何か色々、彼なりの考えがあり、いつも自室で何やら本を読みふけったりノートに記したりとしてます。
どちらにせよ、大学はあと1年あり、1年後に彼がどうするかは自分には考えも付かない事だけど、まずはその1年の期間内に自分は作家という目標に向かいバイトとは別にパソコンという名のペンをとっては創作活動の方もしてます。
さて、その動物園。町で見かけるワンちゃん、猫さんとは違い大型の物がやはり多いです。ゴリラ、ライオン、トラ、カバとかここでしか見れない動物が仕事の合間、合間に見れるのも結構、楽しい事だし、やっぱり貴重な経験なのかもしれません。
「動物が危うい事になってる」。夕食時、ぽつんといきなりそう口にするR。「どういう事?」そう自分の手作りのビーフシチューを頬張りながら返事をする僕。彼は普段はとても無口だけど、突然、真剣な顔で真面目な口調で話す事がある。
「普段、山奥にいて人里には絶対に降りてこない大型種が、ここ最近、街に降りてきては人間を襲う事件が頻繁に起こってる」。「ああ、よくニュースとかでやってるよね。クマだっけ?ケガした人もいるみたいだし怖いよね」。
「対人的なトラブル、問題もあるけど、気候変動から動物の生活環境がこの数年で激変してる。元いた場所では手に入る食べ物がなくなりクマが人里に降りてくる。彼らは何も好き好んで人間と問題をおこしてる訳じゃない」。
「といっても温暖化もそうだけど、一個人がどうにかできる問題じゃないだろ?可哀そうだとは思うけど、やっぱり僕もクマに襲われたくはないよ」。動物園にも大きなクマがいて自分はただの清掃員だけど、たまにその付近の仕事の関係でクマを見る事があるよ。
檻の向こうにいるなら、やっぱり可愛いと思う。
「最近、以前に比べて更に寒くなってきてる。寒い筈の時期に暑かったりもしてる。その急激な温暖差で体調を悪くする事も多い。日本を例にとっても、もう明確に昔のような四季はなくなったよ。その余波から動物の環境も変わってきて、結果、人とのトラブル、事件にまで発展してる。クマも火とも地球そのものがもう危うくなってると思う」。「うん、でも、だったらどうしたらいいの?自分なんか、コンビニで、あ、レジ袋いりません、ぐらいしかやってないぜ?」。「自分も分からないし、一人一人じゃ、何十年、経っても多分、大きく好転しないと思う。でも、今、君が言った、レジ袋の事だって1人から100人、千人、一万人と数が増えれば何かしら好転するきっかけに繋がるかもしれない。少なくとも何もしないよりかは遥かに前向きな事だと思うよ」。
普段は度を越した無口なRだけど自分の興味のある事ならいきなり饒舌になる。でもクマの事にしても、一個人の自分には本当にどうする事もできないとはやっぱり思うよ。自分には、動物園に仕事をできる範囲でこなし、後は作家を目指し創作活動をしていく事しか今はできない。
彼が口にした事は或いは正論なのかもしれないけど、今はただ動物と人との間で大きな被害が出ない事を願うだけです。そんなこんなで終わったその日の夕食時のひと時。ビーフシチューは作った自分が言うのもなんだけど、結構、うまく出来たと思うよ。寒い時期には何は無くともあったかい物を食べたいです。ビーフシチュー、隠し味はスーパーで一番安い赤ワインを使いました。風味とコクが変わります。明日の仕事のためには、まずは英気を養う事。Rが口にした大きな問題の前に、今日と明日の事をまずはつつがなく終える事しか自分にはできない。ただ、クマと人との間で大きなトラブルが無くなる事を願うだけです。
そんな作家を目指す21歳の僕です。まがりなりにも動物園で働かせて貰っているのだし、色々、検索をしてみました。全国、各地の動物園とか、各地で色々、特色が異なっていて面白いです。そんな一つを下記の記事の中で見つけました。手羽先やみそカツも好きな自分です。もし、よろしければご覧になって下さい。何かの参考になったなら嬉しいです。それじゃ今日の所はこの辺で。

地下鉄東山沿線のおすすめスポット「東山動植物園」
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『部屋とペンと僕らの未来』

世の中には色々な才能がある。どんなにその分野に秀でていたと自覚していたとしても、おそらく多分まだまだその上がいる。多少、その分野に置いて出来るからといって悦にいってたらもうそんなのお笑いぐさ。井の中の蛙、大海を知らずもいいとこだと思うよ。
そんなカエルがつまり自分だったとしたら、自虐じゃなくお猿よろしく反省しつつ下を向くっていう話だよ。
自分は小学校の頃から読書が好きだった。そのうち、その本を書く仕事に興味を持ち高校卒業の前には、作家を目指した。そう、目指すだけなら誰でも出来るという事に気が付くのにさほど時間はかからなかったよ。いくつかの有名な文芸社主催の小説公募に送り、でもその全てがまるでかすりもしなかった。
もしかしたらいけるのでは?応募する前は正直、そんな思いもあった自分が赤面もので恥ずかしい。でも、それでも自分は、残念な事に諦める事をしなかった。それが博打のような物だとは分かってはいたけど。
勿論、両親は大反対だったよ。そんな夢みたいなことを考えず、どこかしらの大学に行き出来れば公務員になって安定した生活を送ってくれと最後は泣きながら懇願されたよ。親の言った事は、しごく真っ当で正しい事だって自分でも分かってた。プロとアマチュアとではまるで違う、高い高い大きな壁がある事も知ってたよ。
親との仲も決してよく無かった事もある。色々あって地元にうんざりしていたのもある。気が付けば東京に住んでる幼馴染、小学生の頃、転校してきて二年間だけ大阪にいて、中学にあがる前にまた東京に帰っていった友人、仮にRという名称にしようか。彼に連絡した。「ごめん、これこれこういう事でそっちに暫くやっかいになれない?」。そう切り出したよ、東京にツテなんて他になかったからね。彼はT大生。日本でも有数の最高学府。ありていに言えばエリートって奴だ。自分などとは天と地の差のある奴だけど、どういう訳か大阪にいた頃も東京に行ってからも、繋がりはあり、なんとはなしに気が合う奴だったから。
「家賃はいらない。その代わり家事全般、全てしてくれたら同居人として来てくれてもいいよ」。ダメ元で頼んでみたら簡潔にそんな答えが返ってきた。そんなこんなでボストンバック一つで上京。晴れて花の都、東京の人間となった。作家になるという途方もない夢を掲げてね。
でも世の中、そんなに甘くはない。都会に来ても相も変わらず雑誌の投稿、出版社への持ち込みをしては、膝を地につくような挫折感を味わうその繰り返しだった。東京に出てきて三年。世間的にはフリーアルバイターという奴で色々、雑多に出来る事はなんでもしてる日々を送ってる。
掃除、洗濯、料理は好きだったし、Rの身の回りの世話を焼きながら、またバイトでもそんな感じの仕事もしつつ。Rは大学3回生。自分に残された時間は、あくまで彼の元で家賃レスの身でいられる時間の事だけど、残された時間は概ねあと一年。Rがまともに就職を考えてればの話だけどね。
もし4回になった後も何かしらの形で大学に残る選択をするのならまた別だけどさ。彼なら十分、その道へと行く可能性も才覚もあると思うけど、一応、リミットは残り後、一年と少しという所。なんでもかんでも高額な東京に高卒、職なし男が住むにはあまりに敷居が高い。
それ故に後、一年弱でなんとか作家として物にならなきゃ、半勘当の身で大阪を飛び出た自分は、反転、地元に帰り親の前で土下座して謝り、地道で真っ当な道に戻ろうと思うよ。だからこそ残された1年余りの時間を有意義に使おうと思う。
で、友人の家事手伝いをしながら様々なバイトをしてる自分だけど、今は東京各地のビルとかにある植物のケアの仕事をしてる。水やりから肥料の購入。とかく植物に関するお手入れ全般をしてます。勿論、そういった事を請け負ってる会社のアルバイトとして。
日本の首都、東京。何もかもあると言われてる東京だけど、その地域面積の大きさは他の都道府県に比べてもかなり小さいと思う。そんな小さな大都市に人が密集してる。多分、世界有数の人口密度の高い先進国。NY、LAに比べたらまだマシなんだろうけど、毎日のニュースを見ても犯罪件数もかなりあるみたい。そんなコンクリートジャングルだからこそ、
人の目には緑は必要なんだと思うよ。視覚的にも気持ち的にも、やっぱり人にとっての和みの元だと思う。大きな建物のある場所であっても、その持ち主、或いは行政機関は少なからず植物を添える。そのためにそれを世話する会社があり、自分みたいなアルバイトが雇って貰える。
正直、学なしコネなし資格なしの自分が就けるバイトは早々ない。だから、そこに応募して採用して貰ったのは、ただただ感謝しか無い。後、入って分かった事だけど植物の水やりとかは自分に合ってるみたいでなんとなく長く続いてる。その会社に臨時社員として従事し、東京各地のビルや公共施設にある植物関係のケアをさせて貰ってる。でもあくまで、自分の目標は物書き、作家になる事なんだけど。
「いい事だと思うよ」。ルームシェアをしてる件のT大生、Rがそう言ってくれる。「地球温暖化が世界的に問題になってる今、首都圏の中で酸素を輩出し二酸化炭素を緩和させる植物は必要不可欠な物だと思うよ」。
普段、饒舌では無い彼もたまに口を開いては気遣い的な言葉を言ってくれてる。普通なら口にするであろう、「作家?君、どうかしてる。馬鹿な夢なんか見ないで地元で平穏な暮らしに従事したら?」といった事もRは特には言わない。そんな彼が将来、何になりたいかを訊いてみた事がある。なんせ同居人だし、友人の前に大屋でもある。とるに足らない会話の一つとしてそう訊いた事があります。
「生産業」。一言、彼はそう言ったよ。口数が少ないにも程があるけど、その後は。「取り合えず、まだ一年の猶予がある。大学の院生になる事も他の道を行く事も選択肢の一つとして考えてはいるけど、今、特にこれといった物は考えてないよ」。
「でも、君なら頭がいいし、どの分野に言っても安泰なんじゃないの?」。そう言う自分に、「どんな仕事にも長短あって楽な仕事なんて無いと思うよ。明確に作家という目標を持ってる君の方が安穏と生きてる僕よりも向上心の観点に置いては遥かに上かもしれない」と、彼は言うけど作家という博打というか、おおよそ堅気とは言えない仕事を目指してる奴になんて寛容な言葉を言うんだろ?そう思いつつ、今日も街の各地を回っては植物の世話をしてる日々です。地球温暖化の緩和のためといった彼のいうような大仰な事も特には考える事なく、その日の仕事をなんとかこなしてる日常です。
広い東京の地で半ば謎めいた同居人とこの先、どのような暮らしが、未来が待っているのか、それは未だ未明の事。今日と明日の事をまずはどうにかこうにか考えるのがめいっぱいだよ。
「君、環境管理士に向いてるかも?」同居人はそう言うけど、まずその言葉を自分は知らなかった。どうやら彼は幾つかの特別な免許を取得してるみたいで、その手の事には詳しいみたいだ。彼、曰く。「趣味?ライセンス集めかな」、だそうだけど、彼が何を考えてるのか自分風情には正直、さっぱりわからない。ただ、やっぱり気の合う友人というのはいい物だと思います。高卒、フリーアルバイターの僕と有名国立大学生のR。出生も能力も性格も、何もかもがまるで違う2人だけど、でも未来に向けて試行錯誤してる、頑なにあがいてるというその一点だけは同じなのかもしれない。僕がどうにかこうにかして、結果、作家になれるかどうかは自分でもまるで分かりません。Rも1年後の事はまだまだ模索中みたいだし。若さだけが自分達の武器だとは、それはただの世間知らずな無鉄砲な子供の戯言なのかもしれない。そんな二人の共同生活。彼が不得手な事を僕がして、宿無しの僕を彼がサポートしてくれる。他にも色々、助け合ってこの広い広い東京という大都会の中でなんとかやって行こうと思います。自分の名前はK。今は何者でもない作家志望の21歳の男です。さてさて、僕たちの明日は果たしてどっちなんだか?。勿論それは怖い反面、楽しみでもあるかな。そんなこんなで今日の所はこの辺で。まずはご挨拶までにて、その少し長い一文でした。